白幡同窓会

竜ヶ崎第一高等学校創立120周年 応援サイト

校章

竜ヶ崎第一高等学校は、明治33年茨城県土浦中学校の分校として稲敷郡龍ケ崎町に設置された。 2年後には茨城県龍ケ崎中学校として独立し、翌年4月、現在の白幡台へ移転した。 特別教室・講堂・付属図書館等の施設が整ってゆく中、運動会や修学旅行といった学校行事が行われ、 校友会各部の活動も盛んになっていく。明治は、本校の現在に至るまでの基礎が築かれていった時期である。

  • 明治33年(1900年)
    4月 茨城県土浦中学校龍ケ崎分校開校

    分校主任影山責己
    第1回入学式挙行(130名3学級編成)横町の大統寺を仮校舎とする

創設時仮校舎となった大統寺(写真は大正10年頃)
  • 明治34年(1901年)
    4月 根町般若院を仮校舎にあてる
    5月 茨城県立土浦中学校龍ケ崎分校と改称


仮校舎となった般若院(写真は昭和30年頃)
  • 明治35年(1902年)
    4月 茨城県立龍ケ崎中学校として独立 初代校長遣澤恒猪
    9月 野球部創部

  • 明治36年(1903年)4月 龍ケ崎平畑に校舎の一部が新築

新築当時の校舎遠景(明治36年)
  • 明治37年(1904年)
    4月 図書閲覧室を設置
    8月 第1回県下連合野球大会(明治45年第5回大会まで続く)
    9月 第2代校長板垣次郎着任

    野球部草創期(ユニホームのRは、まだ図案化されないシンプルなものでだった
    後列中央西村初太郎部長(明治37年頃)
  • 明治43年(1910年)
    4月 第10回創立記念式 校訓を五則とする

創立10周年・付属図書館竣工記念絵葉書

正門と校舎前景(明治42年)

大正時代は第一次世界大戦・米騒動・関東大震災等、国内外ともに激動の時代であった。 また全国的に中等教育が大きく発展した時代であった。そういった状況の中、 龍ケ崎中学校も充実・発展の時期を迎える。明治35年に創部された野球部は、西村初太郎部長の指導のもと、 大正7年から5年連続全国大会出場という偉業を成し遂げた。また、校内では各方面の有識者を招いた講演が数多く開催されており、 創立以来提唱されてきた「文武両道」の精神が継承されていく様子をうかがうことができる。

  • 大正3年(1914年)
    8月 関東連合野球大会優勝
    貯水池完成(通称「日本海」・現存)

  • 大正9年(1920年)
    8月 関東野球大会優勝、第6回全国野球大会出場(於鳴尾球場)
    11月 創立20周年記念式


第6回全国中等学校優勝野球大会に出場の野球部(大正9年8月・於鳴尾球場)

創立20周年を祝う学校下の家並み(大正9年11月)
  • 関東野球大会優勝旗
    (大正7年~11年の5年連続優勝旗)
  • 大正14年(1925年)
    6月 創立25年記念事業として育英会を設立
    10月 射撃場を新設
    11月 創立25周年を記念し、校舎を一般に公開

授業風景「創立25周年記念写真帳」(大正14年)より

授業風景 博物教室(階段教室)での入江弥太郎教諭

正門と校舎前景

講堂

昭和10年代

昭和に入り、不安定な社会情勢の中、軍国主義教育が拡大してゆく。 この時期、学校行事として野外教練が多く行われるようになる。 十年代後半には報国団の結成、教職員の応召・出征・勤労動員と、戦時体制が学校生活に大きな変化をもたらした。 その一方で、伝統行事となった上野・龍ケ崎間駅伝競走やマラソン大会などが行われている。 結局の影響はあるものの、勉学・運動に情熱をもって打ち込む姿が当時の様々な記録から伝わってくる。

  • 昭和3年(1928年)
    1月 第1回上野・龍ケ崎間駅伝競走(昭和18年まで続く)


上野・龍ケ崎間駅伝競走(昭和6年1月19日)Rマークのユニホームを着用しているのは競技部員

第12回駅伝スタートの瞬間(昭和14年1月22日)
  • 昭和5年(1930年)
    4月 創立30周年記念式
    10月 創立30周年記念祝賀式

  • 昭和11年(1936年)
    軍事教練に向かう生徒たち


軍事教練に向かう生徒たち
  • 県下中等学校柔道大会優勝記念(昭和12年10月)
  • 庭球部員(昭和12年頃)

  • 相撲部誕生記念(昭和13年)

  • 昭和15年(1940年)
    10月 創立40周年記念行事


創立40周年記念式典(昭和15年10月24日)
  • グライダー訓練(昭和17年夏)

昭和20年代

昭和22年、「教育基本法」・「学校教育法」が公布され、新学制(6・3・3・4制)が発足した。それによって龍ケ崎中学校は、 昭和23年4月に茨城県立龍ケ崎高等学校と改称され、さらに翌年茨城県立竜ヶ崎第一高等学校と再度改称された。 昭和24年には定時制課程が併設され、2年後には女子の入学もスタートし、男女共学の竜一高として新たな歴史を歩み始めた。 部活動が次々と復活したのもこの頃である。

  • 昭和23年(1948年)
    4月 茨城県立龍ケ崎中学校を県立龍ケ崎高等学校と改称 併設中学校は県立龍ケ崎高等学校併設中学校となる
    7月 高校としての徽章(現行の校章)を制定
    10月 第1回秋季関東地区高等学校野球県大会優勝


第1回秋季関東地区高校野球県大会優勝記念(昭和23年10月18日・於水戸商)
  • 昭和24年(1949年)
    定時制課程(昼間4年制)発足 1学年の定員100名


定時制第1回卒業生(昭和28年3月7日)
  • 昭和25年(1950年)
    11月 創立50周年記念式典・祝賀会及び記念行事


創立50周年記念行事・演劇「ハムレット」(昭和25年11月)前列左端上野錦一教諭

創立50周年記念式典(昭和25年11月23日)
  • 昭和26年(1951年)
    4月 初めて女子生徒13名入学(高6回・定3回) 5月 新制高校発足記念日として1日を創立記念日に制定


男女共学となった高校第6回卒業生(昭和29年3月)

昭和30年代

昭和30年代は、全国的に生徒数が増え、本校でも学級数や定員数が増となった。図書館の増改築や体育館の竣工、 理科実験棟の改装、卓球場や合宿所の新築等が相次いで行われ、施設の充実が図られた。それに伴い、各運動部は県下高校の上位を占めるようになる。 「文武両道」の精神により、本校が大きく飛躍した時代であった。
また、定時制では、昭和30年夜間定時制となり、勤労学生たちが豊かで確かな足跡を残してきた。

  • 昭和30年(1955年)
    夜間制に移行。2~3年生は従来通り昼間制に在籍


定時制文集「蛟竜」創刊号(昭和35年3月)
  • 昭和39年(1964年)
    10月 東京オリンピック開幕、本校生も聖火リレーに参加
    岡野功(高14回)柔道中量級で金メダル獲得、龍ケ崎市主催の優勝祝賀パレードに 生徒も参加岡野功来校し歓迎集会


岡野功選手(高14回)東京オリンピック柔道優勝祝賀市内パレード(昭和39年10月28日)

金メダルを獲得し、表彰台に立つ岡野功選手
  • 校舎と図書館

昭和30年頃の校舎

図書館(昭和30年9月29日増改築竣工)
  • 旧体育館全景。武藤清博士設計、使用鋼材は河田重・日本鋼管社長の寄贈による

旧体育館全景(昭和32年3月31日竣工)

昭和40年代

高度経済成長の中で、白幡台の若人達は、修学旅行、体育祭、そして部活動と青春を謳歌した。 この時代特筆すべきことは、44年ぶりに硬式野球部が甲子園出場の夢を現実させたことである。さらに、49年には軟式野球部が第29回茨城国体で全国制覇を成し遂げている。   また創立70周年の頃には木造校舎が解体され、本館永久校舎や特別教室棟が誕生した。

  • 昭和41年(1966年)
    8月 硬式野球部東関東高校野球大会優勝、第48回全国高等学校選手権大会出場(44年ぶり)、 沖縄興南高校を破り、甲子園で初めて2回戦へ駒を進める

    これを機に応援ブラスバンドが急遽結成され、後の吹奏楽部となる。



対興南高校戦、応援風景(昭和41年8月14日)

対興南戦、田代(右から2人目)2ランホームラン(昭和41年8月14日)
  • 昭和42年(1967年)
    第5回全関東高校弁論大会


  • 昭和43年(1968年)
    水泳部県選手権大会で100・200米バタフライで優勝、国体県代表となる



第5回全関東高校弁論大会(昭和42年7月16日・於下館二高)
  • 昭和44年(1969年)
    8月 剣道部全国高校剣道大会出場、決勝トーナメントにて惜敗
    10月 全校集会開催、長髪の許可について学校長から説明
    11月 男子生徒に長髪を許可


  • 昭和45年(1970年)
    12月 創立70周年記念のため新校舎が完成



完成した新校舎(永久校舎と呼ばれた)と木造校舎(昭和45年12月)

昭和45年に完成した永久校舎
  • 昭和48年(1973年)
    5月 校訓に「剛健」が復活し「誠実・剛健・高潔・協和」となる
    定時制給食室完成
    ※この年の10月筑波大学開学



定時制給食室(昭和50年)
  • 昭和49年(1974年)
    9月 第1回白龍祭(文化祭)


昭和50年代

昭和50年代が硬式野球部の甲子園出場(戦後2回目)に始まった。昭和49年に初開催の白龍祭が学校行事として発展していった。 現在の大学入試センター試験にあたる共通一次試験も開始され(昭和54年)、大学入試制度の変革への対応に苦慮した時期でもあった。 また、創立80周年を迎え、施設の充実が図られた。

  • 昭和50年(1975年)
    1月 前庭に白幡記念館竣工
    8月 硬式野球部第57回全国高等学校野球選手権大会出場
    10月 陸上部本校女子初の国体出場(三重)



第57回甲子園大会開会式(昭和50年8月8日)
  • 昭和51年(1976年)
    10月 3年生3名、理科研究(地学)で学生科学賞県優秀賞を受賞


  • 昭和53年(1978年)
    6月 新体育館竣工(創立80周年記念事業)



新体育館も完成した白幡台(昭和53年頃)

新体育館
  • 昭和55年(1980年)
    8月 2階建ての格技場が竣工
    10月 校訓碑完成・正門新築
    11月 創立80周年記念式典挙
    12月 講堂・旧柔剣道場・木造校舎解体終了



校訓の碑(創立八十周年記念)
  • 昭和57年(1982年)
    7月 第1回校内英語スピーチコンテスト(第7回まで続く)
    8月 射撃部第20回全国大会エアーライフル女子団体の部で優勝


政治や経済など国内外の情勢が大きく変動した時代である。本校でも創立90周年を迎え、そして白幡会館が建てられた。本校の新たなる変貌の魁である。

  • 昭和61年(1986年)
    1月 予選会を龍ケ崎市文化会館にて実施(校外施設使用は初)
    5月 女子軟式テニス部(創部初)関東大会出場
    10月 硬式野球部県大会優勝、第39回秋季関東大会に出場


  • 昭和63年(1988年)
    10月 白幡会館竣工(旧図書館跡地、創立90周年記念事業)



白幡会館(90周年記念事業)
  • 平成元年(1989年)
    6月 白龍祭(前年までは9月に開催)
       11月 同窓会報「白幡」創刊


  • 平成2年(1990年)
     1月 第1回大学入試センター試験(受験者179名、於筑波大学)
    8月 硬式野球部第72回全国高等学校野球選手権大会出場
    10月 創立90周年記念式典挙行



第72回甲子園大会開会式入場行進(平成2年8月)
  • 平成3年(1991年)
    4月 全日制1学級臨時増(8クラス、1年360名)
    8月 硬式野球部第73回全国高等学校選手権大会出場



第73回甲子園、対益田農林戦、6回岡野ホームイン(平成3年8月13日)
  • 平成7年(1995年)
    3月 旧体育館老朽化のため解体


平成10年代

創立100周年を迎え、飛龍館、新校舎本館が次々と建てられ、白幡台の学び舎も徐々に変貌していった。 創立100周年の節目となる2000年には、硬式野球部が春の選抜大会では初めてとなる甲子園出場を果たしている。

  • 平成10年(1998年)
    1月 大学入試センター試験会場が筑波大から流通経済大になる
    6月「飛龍館」が竣工
    11月 本校下の旧合宿所解体



飛龍館(多目的学習施設)
  • 平成11年(1999年)
    3月 本館竣工



平成11年完成の現校舎
  • 平成12年(2000年)
    3月 硬式野球部第72回選抜高校野球大会出場
    10月 創立100周年記念式典



スクリーンでの学校紹介(平成12年3月25日)

創立100周年記念式典(平成12年10月21日)
  • 平成15年(2003年)
    3月 新しい武道場が完成し、使用できるようになる。



新武道場
  • 平成18年(2006年)
     6月 普通教室冷房設置


平成20年代

  • 平成20年(2008年)
    7月 射撃部 全国大会出場 男子団体4位 女子団体2位 男子個人3位 女子個人1位
    7月 陸上部 インターハイ(埼玉)出場


  • 平成21年(2009年)
    3月 校名碑設置、龍ケ崎中学校地献納記碑移設


  • 平成22年(2010年)
    4月 茨城県より「いばらき版サイエンスハイスクール事業」の指定を受ける
    10月 創立110周年記念式典挙行



体育館緞帳(創立110周年記念事業 平成22年10月30日)

令和に向けて新たなる飛躍!